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現在、埼玉県立歴史と民俗の博物館で、特別展「円空 こころを刻む―埼玉の諸像を中心に―」が開催されています。
で、わたしも見てきました。 円空仏は、うちの近所でも鑑賞可能なものが数体あるのですが、さすがに170体も集まると、圧倒されますね。 こういう野性味と迫力のある木像は、ガラスケースに入っていると、なんか「場違い感」がありますけど、それでも十分味わい深いです。 開催期間は11月27日まで。 円空仏が一堂に会する機会はそれほど多くありませんから、首都圏在住の方や旅行の機会がある方は、ぜひ。
最近やっと、福島の原発事故の放射能汚染に対する自分の考えがまとまりました。
わたしはこの考えに自信を持っているので、賛同される方は、参考にしていただけたらと思います。 ************************************************ 福島第一原発の事故から約半年が経過しました。 そしていまだに収束の目処が立っていないのは、皆さんもご存知のとおりです。 わたし自身は、事故発生よりも随分前に、原発事故の際の対処法の本(タイトルは忘れた)を読んでいました。 そこには「パニックを防ぐため、国は正確な情報は流さないだろう」とも書いてあったため、事故から2週間くらいの間は、国やマスコミの言うことはあまり信じないで、ずっと家に篭っていました(わたしの仕事場は主に家なので、こういうことができたのです)。 しかし、その後の展開は、その本の通りにはなりませんでした。 本の想定では、「放射性物質の大量放出は短期間で終わり。事故後10日くらいで半減期の短い物質については大方心配なくなるので、あとは半減期の長い放射性物質との長期的な付き合いに移行していく」ということだったのですが、福島原発の場合は、なかなか放射能漏れが止まってくれません(先日は、また岩手や東京でヨウ素が検出されたというニュースを目にしました)。 さすがにわたしも、いつまでも避難生活など続けられませんし、食料の備蓄だって限界があります。 放射性物質の危険性については、できるだけ情報収集を試みたものの、諸説あって、何を信じていいのかわかりません(本当のことがわかるのは数年後)。 結局、「守るべき家族がいない」「どのみち日本人の2人に1人はガンになる」などと考えて移住もやめ、4月からは、被曝覚悟で普通の生活に戻りました。 そうこうしているうちに、世の中は大きく変わっていったようです。 国民の、情報を隠し嘘を垂れ流す国やマスコミに対する不信感と、反原発の気運が高まってきました。 それを受けて、これまで「圧力」を恐れて本当の気持ちを表明できなかった専門家や有識者なども、徐々に声を上げるようになってきています。 ツイッターやブログなどの力も大きかったと思います。 とはいえ、たくさんの意見が出ている上、専門家ですら意見が分かれる現状では、相変わらず原発事故の真相、特に放射能の危険性については、よくわからないわけです。 放射能との付き合い方にしても、誰もが、「真実を知って、それに従う」というよりは、「自分が信じたい説を選ぶ」というのが本当のところでしょう。 そんなときに、今は「時の人」である、京大の小出裕章氏のことを知りました。 彼の経歴や境遇は、わたしが説明するより、『週刊現代』の2011年4月16日号のこの記事と4月30日のこの記事(恐らく4月23日号のもの)を見ていただいた方がはやいでしょう。というより、これらの記事は、ぜひ皆さんに読んでいただきたい。 「反原発」の立場ゆえ、長い間出世もできずに不遇の時を過ごしてきた、「熊取六人衆」と呼ばれる研究者の一人です。 その小出氏、今では新刊はもちろん、過去の本まで復刊されて、書店に平積みです。 そして先日、わたしも『小出裕章が答える原発と放射能』を読みました。 とてもわかりやすい本です。中学生でも読めるのでは? 一番最後の質問での、「いままでとは違う世界で生きる覚悟を」というフレーズが心に響きました。 先に紹介した記事によると、小出氏は、反原発になった理由について、こうおっしゃっています。 東北電力が女川に原発を作るというのを聞いて、本当に原発が安全なら、なんで電気を一番使う仙台の近くに建てないのかと思ってね。それでいろいろ調べたら、原発はもともと危険を内包していて、都会では引き受けられないから、わざわざ過疎地に作るんだという結論に達したわけ。そうなったら、選択は一つ。反対するしかないと。 そして長い間冷や飯を食ってきたと。 また、同じ「熊取六人衆」の一人である小林圭二氏も、同記事の中で、こういう発言をされています。 原子力というのは巨額のカネがかかる分野で、国の関与がなければ成立しません。だから、この世界でメシを食おうと思ったら、御用学者になるのは必然とも言えます。一般の方は、学者だからそれぞれの考えで発言していると思うかもしれませんが、原子力分野はそうではないんです。 小出氏も小林氏も、いわゆる「いい大学」を出ておられるし、研究者としてはエリートなわけですから、その気になれば、「御用学者」として甘い汁も吸えたわけです。 原発に反対しても、この人たち個人には、何もいいことがない。自己満足や安っぽい正義感だけではとてもやっていけない、過酷な道だったに違いありません。 それでもあえて反対する。 こういう人たちが「原発は危険です」と言うのと、「偉い先生」が原発の安全性を訴えるのと、どちらが説得力や信憑性があるんでしょう。 真実って、損得は関係ないところにあるんじゃないでしょうかね。 というわけで、わたしは小出氏をはじめとする、「熊取六人衆」の主張を信じることにしましたよ。 それに、同じ騙されるにしても、防御策を取った結果「危険性はなかったじゃないか!」と言うのと、安全説を信じた結果、健康を害して「危険だったじゃないか!」と言うのでは、後者の方がやるせないと思うので。 (9/30 追記) 誤解のないように追記しますが――小出氏の主張については、わたしはあくまでも「放射線の害について」だけ、全面的に支持しています。 彼自身の哲学については、共感するところもありますが、全面的には支持していません。 ここまで書いてしまって何ですが、「事実」と「哲学」とは別次元のものであるということは、皆さんにも留意していただきたいと思います。
とある友人から、船井幸雄氏の新刊を勧められたので、書店に寄った際に、ちょっと見てみました。
出版社は学研なのですが、「ムー・スーパーミステリー・ブックス」だそうです。だけど船井本だから、ビジネス本の棚にありました(笑)。 内容は「聖書の暗号」だの「レプティリアン(ヒト型爬虫類)」だの「日月神示」だの「フリーメーソン」だのと、何だか胡散臭い単語がたくさん。 その友人は「ムー民」なので、「まさか」と思ってはいましたが、やっぱり……。 わたしは船井氏の本は、これまで一度も読んだことがありません。 それでも、東証一部上場企業の創業者で、社会的にはかなりの成功をおさめている人だということは知っています。 わたしが尊敬している国際関係アナリストの北野幸伯氏も、ご自身のサイトで船井氏の本を勧めていますから、船井氏はビジネスマンや投資家の間でもかなり支持されているのでしょう。 わたしもそのうち読んでみようと思わなくもなかったのですが……。 そういう人が「ムー・スーパーミステリー・ブックス」ですか(^^; わたし自身は、基本的にリアリストです。 人の心よりも、お金の方がよほど信じられると思っているし、「トンデモ系」の話もネタにはしても、あまり信じていません。 このブログを「スピリチュアル系」だと勘違いされることもありますが、わたし自身は、社会的に信憑性が高いとされるデータを主な情報源として書いてきたつもりです。 でも、こうした姿勢に限界を感じていたのも事実でした。 前回の記事でも触れましたが、人間なんて、ほんとにちっぽけで、ほとんど何もわかっちゃいないのです。 そんな人間が発信した情報をいくら漁ったところで、どれほどのことがわかるというのだろう。 どんなに努力して勉強しても、どれだけたくさんの本を読んでも、今後もきっと大したことはわからないだろう――そんな気がしていました。 そういえば、前述の北野氏は、よくメルマガなどで、「成功者は例外なく精神世界が大好きなのです」といった旨の発言をされています。船井氏もその例として挙げられていました。 前述の新刊本も、「船井さんのような人が、何でこんなトンデモ本を……」と思わされた内容ではありましたが、行き詰っていた自分の心が「これだ!」と叫んでいるのも感じたのです。 この世には人智では計り知れない世界というのが確かにあって、その世界とアクセスする力を何らかのかたちで得た人だけが、真実を知ることができるのでしょう。 そしてそれを知ることが出来る人は、もはや「人間」ではないのでしょう。 人間である限り、大したことはできない。でも、人間を超えれば、大きなことができそうだ。 もちろん「トンデモ」の世界も、真実の情報ばかりではありませんから(むしろ嘘の方が圧倒的に多いと思っています)、「よーし、これからはトンデモ本をたくさん読むぞ」なんて微塵も思っていないのですが、人間の限界を打ち破るための能力開発は必要だと感じました。 心当たりとしては、20年近く前に読んで衝撃を受けた、故・佐保田鶴治氏が翻訳・解説されている『ヨーガ根本経典』『続ヨーガ根本経典』あたりですかね。あれも人間を超えた存在になる道筋が書かれています。 これらの本に書いてあることをちょっとやってみましたが、たしかに常識では考えられない体験がありました。「あっちの世界」って、たしかにあるんだと思います。 そういえば、佐保田氏も京大で学び、阪大の教授をされていたわけですから、船井氏同様、一定の成功をおさめた人だと言えます。 この世で何らかの頂点を極めると、人間の世界では満足できず、人間以上を目指すようになるのだろうか……。 この世ではまだ何の成功もしていないわたしですが、それでも人間を超えて、真実を知るステップに入りたいと思います。 昨今の「スピリチュアル・ブーム」や、その前段階の「ニュー・エイジ」は、もしかすると、人類が次の段階に入っていくことを暗示しているのかもしれません。 ただ、わたしは、真実を知ったとしても、できるだけ誰もが納得できるかたちで表現したいですね。 でも、船井氏ですら「ムー・スーパーミステリー・ブックス」だから、そういうのってムリなものなのかな。 ![]()
人間社会に生きていて陥りがちなのが、「人間視点で物事を考えるようになる」ということ。
こう言うと、「人間なんだから当たり前じゃないか」と言われそうなのだけれど、これ、案外怖いことなんですよ。 そもそも、人間というのは、地球上に500万~3,000万種存在するといわれる(環境省「平成20年版 環境/循環型社会白書」)生物のひとつに過ぎないわけです。 加えて、わたしたちが住んでいる地球には46億年の歴史があるし、宇宙に至っては137億年の歴史があると言われています。 しかしここで「人間視点」になると、視野が人間社会の、さらにほんの一部に限られてしまうことになる。時間的にも、せいぜい人間(ホモ・サピエンス・サピエンス)の歴史や寿命の範囲内しか見えなくなってしまう。 これでは真実がわかるはずがない。そして真実がわからなければ、何かにつけて判断を誤る。 もちろん人類レベルでは、多少の真実はわかるだろうけど、もっと深いところの「本質」にたどり着けないことも多々あるわけです。 たとえば――政治家の不祥事というものを見た場合、その理由は、政治や軍事、経済などといった、社会的要因に求められるわけですが、もっと突き詰めれば、「人はなぜ生きるのか」ということになってくる。これを哲学的・心理学的な視点だけでなく、生物学的視点で見ると、さらに問題の本質に近づく。そして「生物学的」の部分を突き詰めようとすれば、それこそ人間という枠を超えた視野が必要になってくる。これを得て活用すれば、最後には本質に行き着く。 こういう視点・視野をわたしに提供してくれたのが、故・カール・セーガン博士の名著『COSMOS』でした。 最初にこの視点・視野に触れたときは、「すごい視点でものを見ているなあ」と思いましたが、今になると、これは今後の人類にとって不可欠な視点・視野でもあることにも気づくのです。 というわけで、わたしは今、歴史の勉強の合間に、地球や宇宙の歴史にも触れるようにしています。 自分が宇宙の、そして地球の一部であることを忘れないために。 こういう視点・視野での思索を通じて、個人的にも世界的にも宇宙的にも、より良い生き方が見えてくると思うのです。 今も毎日、福島第一原発関連のニュースが必ず流れています。そしてこの問題、いまだに解決の目処が立っていません。 しかし、日本人が上記の視点・視野を持つことは、この問題の解決の大きな力となると感じます。 特に理科や数学の先生は、単に子供たちに知識を与えるのではなく、こういう視点・視野も提示してあげて欲しいですね。 ![]()
古生物がとても好きです。
それこそ幼稚園児の頃から好きだった。 当時は買ってもらった恐竜図鑑をいつも持ち歩いていたのだけれど、本命は実は恐竜ではなくて、おまけ程度に触れられていた、古生代の生物。 何しろ彼らは、実に奇天烈な姿をしているのです。 古生代の生物の息吹に触れられる場所といったら、日本では、上野の国立科学博物館が一番じゃないでしょうか。 何しろ日本だけじゃなくて、世界中の化石がありますし、特に「地球館」の海外の化石のコーナーは、気分が盛り上がるような照明とディスプレイなのです。 ![]() ![]() で、中でも人気・知名度ともにナンバーワンなのは、やはりアンモナイトと三葉虫でしょう。 ![]() ![]() これくらい時代が古くなると、もう「社会」だとか「身分」だとか「財産」だとか、そういう概念を超越してますね。 この博物館には、さらに古い「宇宙の誕生」「太陽系の誕生」なんていうコーナーもありますが、わたしは古生代あたりの生物が一番和みます。 (わたし自身は人間なので、人間社会の最も理想的な形態として旧石器時代~縄文を取り上げているわけですが、「生物」というカテゴリーで見たら、古生代の生物が一番好きかも) わたしも人間社会で働いて生きてますし、「しがらみ」なんてのもありますから、時には自分の境遇に絶望を感じることもあります。 でも、時々ここに来て、古生代の生物の息吹に触れていると、自分の存在意義を確認することができる。 それは、人間社会のみみっちい尺度の中での幸福のためなどでは決してなく、この宇宙・地球の未来を造る一員として生きるためなのです。
富士見市の「水子貝塚公園」なるところに行ってきました。
名前どおり、水子貝塚を整備した公園です。 この遺跡は、縄文海進の証拠の一つ。前にも一度訪れているのですが、持って行ったカメラが壊れていて、写真が一枚も撮れなかったので、今回はリベンジです。 水子貝塚公園 まあ、正直言って、公園としては大して面白い場所ではありません。 しかし、縄文好きにはたまらないでしょうね。 何しろ、公園内には復元された竪穴式住居がいくつもあるので。 ![]() もちろん展示コーナーもあります。 「水子貝塚展示館」は、この貝塚で発見されたもの、お隣の「水子貝塚資料館」では、富士見市内の遺跡から出たものが展示されています。 特に資料館の展示物はとても素晴らしく、こんなのが県や国の博物館に回収されずに無料で展示されているなんて、信じられない思いです。 ![]() 中でもこれは、「目玉」的扱いで、単独で展示されていました。 県指定文化財の「獣面把手付土器」です。 ![]() このように顔面を模した土器は、神奈川県相模原市の「勝坂遺跡」の土器に連なるもので、「勝坂式土器」と呼ばれます。 これはムササビをかたどったものではないかと言われており、土器に顔と尻尾が対になるように付けられています。 ![]() ![]() 後部はヘビっぽくも見えます。 前にも何かの記事で書きましたが、地方の無料の資料館は、大きい博物館に良さげなものを持って行かれたあとの「残り」みたいなのしか展示されていないような印象があります(特に国立博物館は、教科書に載っているようなものがてんこ盛りです)。しかし、時々こういう凄いのがあるんですよ。 皆さんも、こういう博物館の前を通りかかるようなことがあれば、どうせタダだし、見ておいて損はありません。
書評というより、一部の人に向けた吉報です!(遅いけど)
東京書籍から出ていた『図説 金枝篇』が、何と文庫本になりました。 図説 金枝篇(上) 図説 金枝篇(下) 東京書籍のハードカバーのは、5000円近くするんですよね。 金枝篇って長いから、要約版のこの本は、それでも人気があったのです。何より、図版がたくさん付いてるのが魅力。 ずっと在庫切れだったのが、最近になって増刷されたようで、近所の書店にも並ぶようになってはいました。でも、値段が値段なので、わたしはなかなか購入に踏み切れず……。 で、今日やっと購入の決心がついたので、出かける前に近所の書店の在庫をネットで確認したら――何と4月に文庫版が出ていたとのこと。 今日まで待った甲斐があったよ、ママン……(ToT) 講談社さん、ありがとう!! 生きてて良かった!! もちろん速攻で買いましたよ。 文化人類学や民俗学・民族学に興味のある人は、持っていて損はないです。 わたしも早速、今夜から舐めるように読もうと思います。
(6/26 ちょっとだけ加筆)
3月の大地震以来、わたしの心はすっかり変わってしまいました。 主に原発事故のせいなんですが、この地震、「(古い日本の)終わりの始まり」のような気がしています。 このブログのジャンルはオカルトではありませんから、これ以上は書きませんが……。 もっとも、わたしはというと、非常に現実的な仕事をしていて、ニュースや本をたくさん見聞きしては時事解説的な文章を書いております。 先日は、経済産業省のお役人さん(古賀茂明氏)のインタビューがツボにはまりました。 何が改革を妨げるのか?――現役官僚が語る、官僚や東京電力の問題 短い記事ではないですが、今の日本が抱えている問題の本質がわかりやすく語られていますので、たくさんの情報によって頭が混乱している人は、これを読むと頭がスッキリするでしょう。 こうした視点に、歴史的な視点をミックスすると、 「今が日本の、精神的・経済的・政治的なターニングポイントである」 と感じるのですよ。 これまでの価値観では、日本自体が立ち行かなくなっている。 震災前もその兆候は十分に感じられましたが、震災後は、国民の政治不信にはさらに拍車がかかってる。 何しろ、それまで何も考えていなかった人にだって、政府が国民のための政治をやってないことがハッキリわかるようになってしまいましたからね。 原発の問題で、マスコミの嘘も隠しきれないレベルになってきている。というか、政財官や学会、マスコミなど、日本をリードするあらゆる力と電力会社との癒着に、国民もハッキリ気づいてる。 それでも、国民の生活が良くなるなら、多分誰も何も言わないでしょうが、不景気な上に増税と。 民主党はお粗末ですが、そのベースには、自民党の不始末もあるわけで……となると、次は?? 日本人は大人しいから、なかなか暴動を起こしたりしませんが、政府に殺されそうになっても、それを黙って受け入れられるんでしょうかね。 天涯孤独な人ならそれでもいいのかもしれませんが、家族がいる人は? 原発事故を機に、(政府のせいで)すっかり安くなってしまった福島県民の命ではありますが、さすがに現地のお母さんたちは黙っていません。 大切なものを守ろうとする人たちは、やっぱり立ち上がらなくてはなりません。 でも、日本が本当に変わるためには、もう少し日本人は苦しまなくてはならない。 今回の震災で決定的な変化があったとは、まだ思えませんから(でも引き金は引かれた)。 で、神々に愛された地・日本は変わるはずです。 だから災難は起きる。天災なのか人災なのか――恐らくその両方でしょう。 「このブログのジャンルはオカルトではありませんから」とか言いながら、つい書いちゃったよ(^^; わたしたちは、今のうちに、日本に訪れる大きな変化に備える必要があります。 それは新しい価値観を持つこと。 「縄文の風、たましいのこえ」は、これからもそんな価値観を提案していきます。
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